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東京地方裁判所 平成5年(行ウ)119号 判決 1994年4月12日

原告

王亜萍

原告訴訟代理人弁護士

中島泰淮

被告

法務大臣

三ケ月章

東京入国管理局主任審査官

古渡正怡

被告ら指定代理人

足立哲

外八名

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

1  被告法務大臣が原告に対し平成五年四月一日付でした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく原告の異議の申出に理由がない旨の裁決を取り消す。

2  被告東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成五年四月一九日付でした退去強制令書発布処分を取り消す。

第二  事案の概要

一  本件は、本邦に在留中日本人男性の認知を受けて男児を出産した中国国籍の女性が、在留期間を経過して本邦に残留する者である旨の入国審査官による認定と、右の認定が誤りない旨の特別審査官の判定を受けたことから、法務大臣に対し、右の日本人男性及び子供とともに本邦で生活したいなどとして、在留を求める異議の申立てをしたが、異議の申出に理由がない旨の裁決を受け、東京入国管理局主任審査官から退去強制令書が発布されたため、右の法務大臣の裁決(以下「本件裁決」という。)及び東京入国管理局主任審査官の退去強制令書の発布(以下「本件退去強制令書発布処分」という。)が、いずれも違法であるとして、その取消しを求めるものである。

二  本件の前提となる事実関係は、次のとおりである(証拠により認定した事実は、その末尾に証拠を掲げた。その余の事実は、当事者間に争いがない)。

1  原告は、西暦一九五七年(昭和三二年)一〇月生まれの中華人民共和国の旅券を有する女性であり、昭和六三年七月二九日、就学のため出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前)四条一項一六号、同法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前)二条三項に該当する者(法務大臣が特に在留を認める者)としての在留資格の下に在留期間六月の上陸許可を受けて本邦に上陸した。原告は、その後数度の在留期間の更新及び一時出国を経た後、短期滞在の在留資格で最終在留期限を平成二年一〇月二七日までとして我が国に在留していたが、平成四年六月二二日に、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正後、以下「法」という。)二四条四号ロ該当容疑者として東京入国管理局に収容され、同八月二〇日に入国審査官から法二四条四号ロ所定の「旅券又は在留資格証明書に記載された在留期間を経過して本邦に在留する者」に該当する旨の通知を受けた。そこで、原告は特別審理官に対して口頭審理の申立てをしたが、同年一〇月二〇日に右認定に誤りがないと判定した旨通知された。原告は、右判定につき被告法務大臣に異議の申出をしたが、平成五年四月一九日本件裁決の通知を受け、被告東京入国管理局主任審査官が本件退去強制令書発付処分をしたので、同年五月二七日当庁に対し、本件裁決及び本件退去強制令書発付処分の取消訴訟を提起したものである。

2  原告の旅券に記載された在留期間は、平成二年一〇月二七日までである。(乙一二)

3  原告は、平成二年一一月八日、日本人男性金子勤(昭和一五年一一月二二日生まれ)が同月七日に認知の届出をした金子和司(男児)を出産した。原告は、平成四年六月二二日に一旦収容されたうえ仮放免されたが、本件退去強制令書発付処分とともに再度収容されて現在に至っている。和司は、金子勤の子であって日本国籍を有しており、現在は児童福祉施設において保護を受けている。

原告は、今後、金子勤との生活関係は解消するが、和司を監護し、養育していくことを希望している。

(甲一、二、乙三、四、原告本人)

三  争点及びこれに対する当事者の主張

原告は、法二四条四号ロ所定の「旅券又は在留資格証明書に記載された在留期間を経過して本邦に在留する者」に該当する者である。

法五〇条によれば、法四九条三項の異議の申出に理由がないとする法務大臣の裁決は、容疑者が法二四条の退去強制事由に該当するとの入国審査官の認定を相当としてこれを維持する判断のほかに、法五〇条一項の在留特別許可を付与する事情がないとの判断をも含むものであるから、その裁量による在留特別許可を付与しないとの判断が違法とされれば、これに基づく退去強制令書の発布も違法となるものと解される。

したがって、本件の争点は、法四九条三項の裁決に当って、法務大臣が原告に対し在留特別許可を与えずに、異議の申出に理由がないと裁決したことが、その裁量権を逸脱・濫用した違法なものであるといえるかどうかであり、この裁決を違法として取り消すべきときは、本件退去強制令書発付も違法として取り消すべきこととなる。

争点についての当事者の主張は、次のとおりである。

(原告の主張)

1 原告は、日本で東京都内の東京都東洋言語学院に就学し、二年間インテリアデザインの勉強ができることとなったので、就学ビザの発給を受けて、来日し、同学院において日本語を勉強し、その後アーバンデザイン専門学校においてインテリアデザインを勉強してきたものである。

2 金子勤は、豊島区南池袋所在の株式会社ユニバーサルデザインの代表取締役であって、山梨県に妻子がいるが、昭和五六年頃から夫婦関係が不仲になって、単身東京で生活してきた。原告と金子は、平成元年一月末ころに知り合って、将来の結婚を望むようになり、平成二年三月に原告が一時帰国した後一緒に暮らし始めた。

原告は、和司の出生後約四か月が経過するまでは、金子勤に妻子のいることを知らず、同人とともに親子三人で平穏な生活を過ごすことができるものと思っていた。原告は、その後、金子勤に対し、その妻との離婚、あるいは原告との内縁関係の解消のいずれかを選択するよう回答を求めたが、勤が誠意ある態度を示さないため、同人との内縁関係を解消するに至った。

3 金子勤の現状は、切迫心筋梗塞、不安定狭心症のために入退院を繰り返しているうえ、会社の経営上の問題を抱えていて、自己の健康状態や生活関係の確保すら危ぶまれる状況にある。したがって、和司の監護・養育のためには、母親である原告の存在が不可欠であるところ、和司が中国国籍を取得していないので、中国に長く在留することができないし、現状のまま原告に国外への退去を強制するならば、幼児である和司の福祉に欠けることになる。

4 子どもの権利条約(国際連合総会で一九八九年一二月二〇日に採択されたもの、わが国は、この条約を未だ批准していない。)は、締約国に対し、子どもの最善の利益を擁護する義務を課し(三条)、子どもの生存・発達の確保を義務づけ(六条)、子どもが親の意思に反して親から分離されないことを確保するよう義務づけている(九条)。子どもは、全面的かつ調和のとれた発達のために、家庭環境の下で、幸福で愛情や理解のある雰囲気の中で成長すべきものである。そして、このことは、人間性に由来する権利であるから、基本的人権の一つとして憲法の保障することである(憲法一一条、一三条以下、二五以下)。したがって、日本国民である子どもが、社会の中で個人としての生活を十分におくることができるよう、その生存・発達の権利を確保し、充実させなければならないことは国政上の義務であって、親の教育・監護の意思に反して親から子どもを分離させるべきではないから、このことのために、特段の事情の存しない限り、行政庁の行為も羈束されるのである。

5 以上のとおり、本件裁決に当って、被告法務大臣が和司の福祉を考慮することなく、原告に対し在留特別許可を与えなかったことには、その裁量権を逸脱・濫用した違法がある。

(被告の主張)

1 被告法務大臣は、外国人に対する在留特別許可の判断に当って、その在留状況と右の個人的実情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係など、諸般の事情を総合的に考慮した上で時宜に応じた的確な判断をする必要があり、その裁量権の範囲は広範なものである。

法二一条三項に基づく在留期間の更新許可の付与は、適法に在留している外国人を対象として行われるものであって、その申請権も認められており、また、「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に許可することができるとされているのに対し、法五〇条一項の在留特別許可の可否は、法二四条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者を対象として判断されるものであって、それらの者には申請権も認められていないし、「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に許可することができると規定され、その許可のための要件も一段と厳しいので、外国人保護の要請が強いとはいえない。

したがって、被告法務大臣の在留特別許可の付与についての裁量権の範囲は、在留期間の更新の場合の裁量権よりも更に格段に広範なものであり、裁判所の審査の及ぶ範囲も極めて狭いものとなるのであって、同被告がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて行使したものと認め得るような特別の事情があることを要するものと解するのが相当である。

2 原告は、勉学を目的として我が国に入国したものであるが、在学中はスナック、中華料理パブ、銀座八丁目のクラブ等で稼働していたものであり、たとえ、それが就学中の学費その他必要経費を補う目的のアルバイト活動であるとしても、就学生が風俗営業に従事することは好ましくないし、そもそも風俗営業に従事する目的の入国・在留は認められない。

在留資格のうち、法別表第二の「日本人の配偶者等」は、本邦において有する身分又は地位を配偶者に限定し、いわゆる内縁の妻を除外している。金子勤には現在一六才と一〇才の子供があり、これを田舎で育てたいと考えて妻子には大月市で生活させているが、そのもとに月一、二回帰っており、生活費も渡しているうえ、妻子には申立人との関係を話しておらず、妻と離婚する考えはないと供述している。したがって、右状況で申立人の在留を認めることは、重婚的内縁関係というべき生活状況の維持に対して法的保護を与えることとなり、婚姻秩序の維持という公序良俗の見地から見て不適当であるといわなければならない。

なお、原告は金子勤との内縁関係を解消したと主張するが、それが真実であるかどうかはともかくとして、この点は本件裁決後に生じた事由であり、本件裁決の適法性に影響を及ぼすものではない。

3 原告の「未成年の子供の親としての地位」は、法定の在留資格に基づく地位のいずれにも該当しないし、平成二年法務省告示「法別表第二の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める告示」のいずれにも当らないものである。

法別表第二の「定住者」の在留資格については、上陸の許可申請をした外国人が、予め被告法務大臣から告示をもって定める地位を有する者としての活動を行おうとするものでない限り、入国審査官において上陸許可の証印を行うことができないものとされている(法七条一項二号、九条一項)。そして、法別表第二は、「定住者」が本邦において有する身分又は地位として、「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」と規定しており、これを受けて、右の告示が発せられている。したがって、法が法七条一項二号にいう「定住者」として予定している者は、右の告示に該当するものに限られており、それ以外の者について、「定住者」としては、法一二条により特別に上陸を許可することも認めない趣旨であるというべきであって、その趣旨は、在留特別許可をするかどうかの判断においても、十分に尊重されるべきものである。

そうすると、法は、未成年の子供が日本国籍を有するかどうかを問わず、未成年の子供の親としての地位にあることを理由とし、専ら本邦において当該未成年の子供を養育することを目的とする入国及び在留は、原則として認めていないのであり、原告は、原則として、入国・在留が認められない類型の者であるといわなければならない。原告が母として未成年の和司に対する監護・養育の権利を有するとしても、外国人は、国際慣習法上及び憲法上、我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、在留の権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障されているものでもないことから、外国人在留制度の枠内で監護・養育の権利を行使することが可能であるにすぎない。

4 原告自身は、中国で成育し、三一歳まで中国で生活してきたものであり、しかも中国には原告の母及び妹が在住しており、原告が退去を強制されたとしても、その生存を脅かされたり、生活が不可能となる事情にはない。原告が日本人である和司の母として監護・養育の権利を行使するには、いろいろな方法が考えられるのであって、決してこのような理由で、外国人である原告に対し本邦への在留を認めることが義務的となるものではない。

原告の未成年の子供に対する監護・養育の点は、被告法務大臣が原告に対する在留特別許可の判断をする際に、その考慮の一要素となり得るとしても、そのことだけから、同被告において原告に対し在留特別許可を与えなかったことが違法となるというものではない。

また、我が国の各種の福祉及び保護法制が和司にも適用されることはいうまでもない。和司に対し、原告の主張するような権利が保障されなければならないとしても、それは絶対無制約のものではなく、これが公共の福祉の上からの制限を受けることはやむを得ないものである。そして、本件裁決が仮に和司の権利・福祉に対する侵害となるとしても、それ自体は原告以外の第三者の権利に係るものであり、原告に対する本件裁決の適法性に影響を与えることがらではない。

5 以上のとおり、本件裁決に裁量権の逸脱・濫用は存しないから、右裁決及び本件退去強制令書発布処分が違法となるものではない。

第三  争点に対する判断(証拠により認定した事実は、その項の末尾に証拠を掲げた。)

一  退去強制令書を発布された者について在留特別許可を付与するか否かの判断は、法務大臣の広汎な裁量に委ねられるものであるが、右裁量も全くの自由裁量ということはできず、右判断に裁量権の逸脱又は濫用というべき事由があれば、違法とされることもあり得るものである(行政事件訴訟法三〇条)。そして、これを審査する裁判所としては、法務大臣が裁量権を行使するについて前提とした事実がその基礎を欠くものであるかどうか、その裁量権の行使に社会観念の上から著しい逸脱ないし濫用があるかどうかという観点からのみこれを審査することができるものと解される。

二 原告は、母として未成年の和司に対する監護・養育の権利を有し及びその義務を負っているが、このような我が国の国籍を有する児童の監護・養育という事由を外国人の在留資格として認めていない我が国の法制上は、外国人が我が国の国籍を有する児童について、その監護・養育の権利を有し、義務を負う場合にあっても、その外国人は、そのことのみを理由に我が国に引き続き在留することを保障されるものではなく、その我が国における監護・養育の権利の行使又はその義務の履行は、その外国人が本邦に在留することができるという枠内においてのみ可能となるにすぎないものといわざるを得ない。

三  本件の前提となる事実関係は前記のとおりであって、被告法務大臣が原告に対し在留特別許可を与えずに本件裁決をするに際し、その裁量の前提とした事実中に、その事実の基礎を欠くものがあったと認めることはできない。また、同被告が、本件裁決をしたことに関する裁量権行使の適否についてみると、前記の事実関係のほか、次の事情を認めることができる。

1  原告本人は、中国国内においてトラブルがあったことを、来日した理由の一つにあげるが、その具体的内容は明らかではなく、これを斟酌する余地はない。中国には、原告の母、妹及び親族が在住しており、原告が退去を強制され、中国に送還されたとしても、その生存を脅かされたり、生活が不可能となる事情があるとは認められない。

(乙一〇、一二、一四、原告本人)

2  金子勤は、山梨県大月市に居住する妻及び未成年の子供二人があるが、妻子には原告との関係を話しておらず、妻と離婚する考えはないと供述している。そして、原告自身も、今後は金子勤との内縁関係を解消する意向を示している。

(甲一、二、乙三、四、原告本人)

3  和司の父親である金子勤は、入退院を繰り返していて不安定な健康状態であり、自ら金子和司を養育することが可能な状態にはなく、その積極的意思もない。現在和司は、児童福祉施設において保護を受けており、その生存が脅かされるなど、その福祉に欠ける状況はない。

原告は、母親として、現在三歳の和司を具体的にどのように監護し、養育していくかを、その置かれた状況下において可能な範囲内において決していく他はない。そして、原告が退去を強制されるとしても、同児を自ら監護・養育するためこれを同行するかどうかは、金子勤に同児の監護・養育の積極的意思が認められない以上、原告自身の選択に委ねられているのであって、仮に、原告が退去強制令書を執行されることになり、その際、自ら和司を同行する途を選択せず、あるいは、日本国籍を有する同児に必要な旅券の取得等の手続をしないため、同児が本邦に残留する結果に至ったとしても、同児自身は児童福祉施設において保護を受けることが可能であるから、その本邦における生存が脅かされたり、生活が不可能となるなど、その福祉に欠けることとなる事情はなく、原告の監護権及び養育権が不当に侵害されるということにはならない。

(原告本人、弁護の全趣旨)

4 これらの事情に鑑みれば、原告について在留特別許可を付与するか否かの被告法務大臣の裁量権の行使に、社会通念の上から著しい逸脱ないし濫用があったということもできない。

第四  結論

以上のとおりであるから、本件裁決に裁量権の逸脱・濫用が存すると認めることはできず、右裁決及び本件退去強制令書発布処分に違法があるとすることはできない。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官榮春彦 裁判官武田美和子)

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